妄想家族 第0話

今日から妄想家族を不定期更新していきます。

更新していくにあたって、まず妄想家族についてのご説明。

 

 

妄想家族とは...。

妄想家族とは、妄想家・ちょるが早く自分の家族及び子供が欲しいという欲が強すぎて、高校生頃から妄想上に作り出した家族のお話である。

基本的には時系列に沿って話が進みますが、妄想上の家族のため、妄想家の都合及び気分により、未来に行ったり、過去に戻ったりします。

 

 

【家族構成】

父・ゆうだい

家族愛が強すぎてたまに家庭内での居場所がなくなるが、めげない不屈の心でどうにか居場所を無理くり作り出す父親。

子供達からは、ゆうだいと下の名前で呼ばれている。

 

母・奥さん(名前はありません)

妄想家族にて絶対的地位に君臨する神のような存在。

基本的に強く、口もそんなによろしくないが、意外と家族想いである。

(なぜ名前がないか。それは、名前までつけて具現化してしまうと二度と現実世界に戻ってこれないのではないかという恐怖心があるため、名前をつけていない。)

 

息子・隼斗(はやと)

長男の隼斗。めちゃくちゃ妹想いのいい息子。

父親とは、友達のような関係。幼少期に見ていた戦隊系やアニメのヒーローに絶対なれると小学生の終わり頃まで、信じ込まされ、なれない現実にぶち当たるものの、冷めるどころか逆に燃え上がり、今も夢見るハッピーボーイ。

 

娘・希(のんちゃん)

末っ子の娘。隼斗の2歳下。父親に溺愛されるプリンセス。

基本的に父親と兄のことを見下しているが、二人とも愛が強いため自分のことを構ってくれる。構ってくれることは好きだけど、素直になれないツンデレ娘。

 

 

 

リアリティがあったとしても基本的に妄想上での話のため、フィクションです。

どうか冷たい目をすることなく、温かい目で一家の成長を見てもらえると幸いです。

 

▼次のお話▼

【妄想家族 第1話】

恋愛の価値観って面白い

この前、一年ぶりくらいに連絡した友達との会話。

基本は連絡を頻繁に取り合わないけど、たまにどっちかから連絡する。

そんな関係の友達。

そんなやつから、電話がきた。

(とりあえず、Aとする)

--------------

[A]:

ねぇ、聞いて。

私、好きな人がいて、その人から告白されたの。

 

[私]:

よかったじゃん。で?

付き合ったの?

 

[A]:

いや、断った。

 

[私]:

は? なんで?

好きな人だったんじゃないの?

付き合えばよかったじゃん。

 

[A]:

告白されて嬉しかったのは事実なんだけど...。

「Aを絶対幸せにする」って言われて、なんか萎えたの。

私、恋愛とか結婚において「絶対」とかないって思ってるから、

告白とかプロポーズで「絶対」って言葉使われるとダメなんだと思う。

これに関しては、自分でもびっくりした...。

 

[私]:

へー。

(こいつ、相変わらずすげーな...)

 

 

自分自身をちゃんと見れたり、

いろんな価値観とか受け入れられるようになって、

よくよく考えると自分の周りは面白い人で溢れてるなって感じた。

 

でももっといろんな人がいるって考えると興奮して、

興奮して興奮してしまう。

 

という、この前の出来事。

 

偏見はあるだろうけどさ、

本人が幸せなら、それでいいんじゃない?

電車内で目があった時...

ここ最近、電車に乗って移動をすることが多くなった。

 

電車に乗ってる時、知らない誰かと目があってしまう。

そんなことを経験したことあるだろうか。

 

私は、目があった時絶対目をそらさない。

ガン見する。相手が目をそらしたら、なんか勝った気分になる。

どうでもいいけど...。

 

 

大学3年になった頃、北海道から茨城の大学へ編入した。

頭がお花畑だった私は、電車通学に憧れていた。

実家から大学までは約2時間ほど。

一人暮らしをする予定だった。

だが、私は3年の前期だけ電車通学を選択した。

 

「電車通学から生まれる恋があるかもしれないやん」

ただそういうやましい気持ちしかなかった。

 

結論、何か恋が生まれることはなかったが、面白いことが起きた。

 

冒頭にも述べたように、電車に乗ってるとどうしても目があう。

最初は目をそらしていたが、途中からゲーム感覚でそらすのをやめた。

そして何を思ったか、電車にいるJKをガン見してみることにした

(変な人に思われるのでやめましょう)

 

すると、2パターンの反応が見られた。

①「うわっ。きもっ」って感じの反応をする子

②よくわからないけど、なんか照れる子

 

とりあえず興奮した。

そこから、ガン見し続けた。

本当に楽しかった。

 

そして、途中から新しいターゲットを見つけてやってみた。

大人のお姉さん。

 

パターンはJKの時と同じパターンだったが、ある日新たなパターンを発見した。

③ニコッと微笑むお姉様

 

僕はさらに興奮した。

そして、「これが大人の余裕か」と思った。

 

これを研究論文としてやったら面白いのではと思ったけどやらなかった。

 

 

これをやって、恋も何も生まれなかったけど、もう1つ面白いことがあって。

パターン②のJKがいて、反応が素直すぎてお気に入りの子がいた。

その子をAとする。

 

いつもは席に座って、通学していたのだが、

その日はたまたま座れなくて、ドア付近に立っていた。

 

扉が開いた。

すると、そのAがいた。

「お、Aだ」と思った。

するとAが、一瞬びっくりして「おはようございます」と深々とお辞儀した。

まじで笑った。予想外だったから。

 

それをきっかけにその日からなんとなく会話し始めるようになった。

だが、話できるようになってから1週間もしないうちに、

高校の夏休みに入り、私も一人暮らしを始めて、

電車を使わなくなり会わなくなった。

 

というリアルにあったどうでもいい話。

あの子は今どうしているだろうかと妄想したtodayであった。

こいつの興味分野は今どこへ…

ようやくここから自分の書きたいことを

書き始められる気がする。

イベントとか食とか地方創生とか

その類の仕事をしてきた私。

 

興味がなくなったわけではないんだけど、

そっちの分野よりやりたい

ってものが別にできている。

今やってる仕事は仕事でやりつつの

個人的にやっていきたいことの1つ。

なんだかんだ言っても、やっぱり地方は

自分にとって安らぐ場所であり、

これまで関わってきた好きな人達がいる場所。

それに可能性に溢れている場所だと思うから

何かしらで絡められたらやりたい。

 

これまで振り返ったときに、

価値観を押し付けてしまうようなこととか

してなかったかな?とか

いろいろ考えてしまった。

だって地方がいいとか都会がいいとか、

価値観みんな違うじゃん。

 

こんな話してると色々語弊が

出てきそうだから、

大前提として本当にどうでもよくなったり、

興味がなくなったわけでは

ないことだけ言っておく。

あくまで、個人視点での話で、

仕事とは関係のないこと。

 

 

今の私は、マスメディアが

あまり大きく取り上げない、

性や人類の問題、

環境・社会問題とかに興味が強い。

問題系だけでなく、

いろんな人の世界観についても興味が強い。

僕はただ受け入れたいんだ。

 

最近、それらについて発信する

メディアも出てきたが

「興味がある」で終わりじゃなくて、

クリエイターの力を借りて、

作品として作り上げてみたい。

一人で全部できるようになれれば

強いのかもしれないけど、

まだそこまでは無理だからね。

 

 

何を考えているかというと、

生きることは「選択」の繰り返しであって、

誰かの選択はの「選択」は

必ず他者や地球に影響を与える。

人間が増えれば、自然が減って、

人間が減れば自然が増えるように、

人間の行動による経済活動は少なからず、

自然資源を削る。

 

 

物事を大きく捉えれば、

例としてこんなことが挙げられる。

身近なことで考えれば、

偏見や社会的風潮で本当はこうしたい

という選択ができない人が

出てきてしまってること。

 

 

やりたきゃ勝手にやればいいじゃん。

そういう考えもあるだろう。

でも世の中にはいろんな人がいて、

周りにどういう影響を与えるか

何も考えずに行動できる人。

他人ばかり気にして、

自分の中のやりたいを抑え込んでしまう人。

楽観的に考えれる人、

悲観的に考えてしまう人。

 

国を超えればもっといろんな人がいるわけで、

固定概念を外し、いろんな価値観を

受け入れられる余裕がある人が

増えていかなきゃいけないのかな

って思ってる。

 

いろんな思想や世界観などを

否定も肯定もしない。

僕はただ受け入れたい。一人の人間として。

一度受け入れて、

受け止めきれないなら吐き出すし。

 

 

本当は選択肢は無限にあるのに、

情報過多で本質は何なのかなど

わからなくなりやすい。

それに加えて、社会的風潮や

固定概念などがあると、

もっと自由に選択できなくなるって考えてる。

 

 

これらは、多様性って言葉で

まとめられるのかもしれない。

でも多様性でひとくくりにされるのも

違う気がしてる。

 

最近、言葉のメリットデメリットに

ついても考える。

当てはめられる言葉があることで、

モヤモヤが解消されたりして

いい方向にも行くし、裏では言葉が

あることで悪い方向にも転んだりする。

ケースバイケースだが、言葉って

諸刃の剣みたいなもの

なのかなとも考える自分もいる。

 

 

色々書いたが自分は

平和主義者でも何でもない。

どっちかというと弱肉強食の世界を肯定する派。だって現実そうじゃん。

それに人間のダークな部分が大好き。

好きというのも、自分にはない世界観・価値観だから。

それにダークな部分なしに純白な人生歩んできた人って

どれくらいいるのかなって思っちゃう。

みんな言わないだけで、何かしらを必ず持ってるって思ってる。

 

ちょっと話がそれるけど、極端な話、生きたきゃ勝手に生きればいいし、

死にたければ迷惑がかからない範囲で勝手に死ねばいいと思う。

(言葉悪くてごめん)

 

でも、誰にも助けを求められず、声をあげても誰にも見てもらえず、命を絶つ人。

まったく関係ない他人の命に手をかけてしまう人。

そういう人達がいるという事実から目を背けるのが、個人的に嫌いなだけ。

 

気にかけたくなくても気になっちゃうのよ。

自分が気になっちゃうのも、そういう人達がいるのも全て現実で真実だから。

 

全部に寄り添えるなら、個人的に寄り添いたい気持ちはある。

でも、自分の生活もあるなかでそれは限界がある。

それに全部寄り添うとしたら、時間が足りないし、何かが中途半端になる。

中途半端になるくらいなら、近寄らない方がいい。

中途半端ほど、迷惑なものはない。

遊びならいいけど、真面目にやってる人もいるのは事実だから。

救うことはできなくても寄りそうとか近くにいることくらいは1人の人間としてできるはずって思ってる。

見過ごすのが個人的にモヤモヤするだけ

 

 

 

自分は何か結果を出した人間か?

何も結果を出してない。だから、発言してもただの戯言で終わる。

言葉もただのチリとなって消える。

大きくは変えることはできない。

それは大前提としてあっても

自分の周りから何かを訴えかけることはできるはず。

 

 

自分が伝えたいことをいろんな人に協力してもらいながら、

作品というもので訴えていきたい。

それは写真なのか動画なのか、文字なのか、はたまたそれ以外の何かなのか。

それは今、模索中。

 

とりあえず、ビジュアルにストーリーを混ぜ込むっていうことでやろうとしてる。

若手のクリエイターの力を借りて。

作るとしても、直接的な表現から、

ユーモアを混ぜ込んだものまでいろんなものに挑戦したい。

そして、いろんな人の世界観を具現化したい。

 

発信力もない。何か作ったりしたとしても

最初は理想のクオリティまではいかないだろう。

でもやりたい。自分で決めたから。自分で決めたからにはやれるところまでやりたい。

 

これらを仕事をする傍ら、やっていこうと思う。

何かで協力してもいいよという方がいたら、喜びます。連絡ください。

(モデル、カメラ、デザイン、場所提供、一緒になんかやろとかの提案などなど。)

 

今、自分の中の軸みたいなものとして、

・自分らしさとは

・ポジティブをネガティブに。ネガティブをポジティブに。

です。

 

 

こんな感じで、こいつは今生きてます。

善悪の境界線って何だろうね。てか誰がそんなこと決めたの。

世の中ってめんどくさいね。でもめんどくさいから面白いんだけどね。

はい、終わり。

自分を隠すのをやめてから…。

いきなりですが、これまで基本めっちゃ自分を隠してました。

え~、まじで? 絶対嘘だ。

あ、100%じゃないよ? でも8割くらい隠してたよ。

出す人にはちゃんと出してたよ。

(そんなことより早く妄想系のことブログに書きたい)

 

でもさ、みんなも基本、本当の自分隠してる人も多いんじゃないの?

特に自分のダメなところとか。もっと言うとフェチとか癖とか癖とか癖とか

 

みんなからどう見えてるか知らないけど(知りたいとも思わない)、

外ではわりと明るいほうだと思う。

基本的にはそうしてる。だって、明るい方が接しやすいじゃん。

 

でも普段が暗いかと言われると微妙

 

暗くても、明るくても無理はしてない。両方デフォルトだから。

それに自分ってめっちゃ極端で、バカみたいにふざけてるか、

バカみたいに真面目のどっちかなの。

中間があればいいな~って思うけど、めんどくさいから作らない。

中間の自分はデフォルトじゃないから。

中間っていう分類ではない「無」な自分は別である。

これはデフォ。

 

その間がほぼなくて。

でも初対面の人にはなるべく、中間の自分でで行くようにしてる。

それに昔から、「外ではいい子でいなさい」って育てられたし、

イジメとかも重なって尚更ね(笑)

 

どっちか片方の自分しか知らない人は、もう片方の自分を見た時に、

ほぼほぼ出てきた言葉として「無理してない?」。

それが嫌なの。私は両方デフォルトなの。

その言葉が嫌いだから、無理して中間の自分を作り出す。

そんなことみんな気にしないと言われても、

そういう言葉を言われることが多々あったから、作ってた。

相手や場所に応じてちょくちょく自分出したりしてたけどね。

とりあえずそれがこれまでの私。

 

だから、基本言えないことが多くて、めっちゃ溜め込むことが多かったの。

悩みとか言ったりすることもあったけど、

誰かに言えちゃうやつって意外とそんなに悩んでない悩み。

 

前は相手に申し訳ないとかそう言う気持ちが強くて、何か話せる友人もいなくて。

それに加えて、自分が不安定な時の家庭環境は最悪。

(今はいい方向に行くように家族でお話済み)

 

それに慣れないことに慣れるようになったり、できないことをできるようにしたり、

ましてやお金がないと生きていけないからいろんなことに必死になって。

仕事、対人関係、家庭環境。いろんなことのストレスが同時に頂点に達して、

解離性人格障害になった。

 

それからというもの、さらに不安定になって周りに迷惑かけて。

そもそも、迷惑かけちゃダメって思考自体がダメだったんだよ。

生きてたら、基本誰かに迷惑かけちゃうんだから。

前の自分に言いたいことは、

「もっと迷惑かければ? というかそもそも迷惑かけてないって思ってる? 意外と迷惑かけまくりだからね(笑)」。

 

自分のことすら見えてないのに他人をわかったふり。自分をわかったふり。

今思えば、滑稽滑稽(笑)

 

 

今の私はというと

「自分を隠すのめんどくせ~(鼻ホジホジ)」。

でも一緒にいる相手を立てたりしなきゃいけない時もあるから、

365日解放してるわけではないけど、

隠すの辞めた。体力使うから。そこに体力使わなくなったぶん、

他のところに体力を使えるようになった。

隠して辛いことは隠さなきゃいい。

同情されるのが嫌ならば、ネタとして、笑い話として言っちゃえばいい。

言い方なんていくらでもあるのよ。

悩みを言うのって、言える相手がいるいないじゃなくて、

勇気が一番重要だったりする。

 

障害のやつだって、別に同情がほしいんじゃない。

むしろ同情される方がきつい。

解離性はだいぶ落ち着いてきたと思ってる。

でもパニック障害も少しあるから、それに関しては周期がある。

どういう条件でなりやすいとかどれくらいの周期でくるとかもうわかってるから、

そろそろ波来るなって時は、人に会わないようにしてる。

 

仕事とかでどうしても一緒にいなきゃ行けない状況の時は、

もしこうなったらこうしてほしいって必ず言うようにしてる。

それは変に心配されたくないし、相手が知らない状況で迷惑かけたくないから。

 

言い方・やり方の賛否はもちろんあるけど、今の私を受け入れてくれる人は好き。

受け入れてくれる人への私からの愛はとてつもない。

そしてその愛も、言葉もド直球。

愛すら隠すつもりない。

だって、好きなんだからしょうがないでしょ?

 

ド直球な好きを言うと面白いことに、

意外とみんな反応困ったって感じを見せる人がいる。

「そんなにストレートに想いを伝えるやつ、周りでお前くらいだよ。」って

若干恥ずかしそうに言うのだ。

男女関係なく。それが個人的にツボ。というかフェチなのかも。それとも癖?

 

逆に嫌いなところもはっきり言う。

でも、好きなところがない時、見つけられてない時は言わない。

だって、両方あるのが人間じゃない?

わかってないのに、言えないでしょ。

だから探すの。いいところも悪いところも。

 

自分を隠さないで接すると自然と相手もさらけ出してくれるもんよ。

例外として拒絶される時もあるけど(笑)

そういう時はいつもこう思っている。

 

「あ~。俺の愛が強すぎたか~。しゃーない。」

 

自分を隠すのやめてから、楽になった。

生きにくいなら、生きやすくしちゃえばいい。

 

てか、私そもそもうざいくらいのポジティブなんよ。

だから、私はそれでいいの。

受け入れるってどういうことだろう②

さてさて、今日は若者視点か。

(ちょっとため息。)

基本、真面目なことばかり書くつもりないのよ。

でも考えちゃったことだから、しゃーないのよ(笑)

 

実は去年の年末くらいまで、同年代がすごく嫌いだった。

できれば一緒にいたくなかった。

夢を語ったり、一緒にふざけたり

楽しかったのは事実なんだけど、本当に嫌いだったの。

もともと同年代に拒絶反応がある人だったから。

だから、受け入れられる同年代は自分の中でわずかだった。

 

ただ、あからさまに態度に出すのは悪いなとも思ってたから、

表面上は楽しそうにしてた。

みんなから離れて一人になった時の自分の態度の豹変ぶりはたまに病んだ(笑)

 

今は、好き!!

 

 

ということで、昨日の続きで今回は若者視点で行くとする。

今回は、主観もりもりかも。

 

 

上の世代の人からして、今の若者は対面コミュニケーションができない。

飲み会とかにもこない、社内行事にもこない。

何を考えてるのかわからない。その他もろもろ

色々悩みはあるみたい。

 

何から掘り下げていくか、迷ったけど、とりあえずコミュニケーションから。

今の世代は、デジタルネイティブって言われて、

LINEとかSNS上でのコミュニケーションが主流。

それにいろんな情報がインターネットを介して色々手に入る。

 

人に会わなくてもコミュニケーションが取れるし、情報も手に入るし、

無駄な体力を使うということをあまりしたくないのかもしれない。

自分が好きなことや楽しいって思えること以外は。

それにリアルコミュニケーション嫌いなわけではないとは思う。

会わなくてもコミュニケーションが取れちゃう時代だからこそ、

リアルの温かさに惹かれる人もいる。

それにデジタルの中では、あんまり上下関係とかないから、

上の世代の人ほど、上下関係を重要視しないのかも。

 

もろもろをひっくるめて、「これなんの意味があるの?」って

感じてしまった時は意味がないとやる気にすらならない。

 

仕事においても、これやってって言われてもやる意義がわからないと聞いちゃう。

聞いて答えてくれなかったら、この人も意味わかってないのかな?って

なってその人から気持ちが離れちゃう。

それが自分で考えてみなっていう教育的な優しさだとわかっていたとしても。

 

これらを踏まえた時、親身になってくれる先輩のことは

すごく好きになる傾向があるんじゃないかな?

それくらい直接感じれる優しさとかを無意識に欲してるのかもしれない。

 

キャリアっていうことの視点だと、終身雇用が崩壊し、

転職を視野に入れる世代だから、

なおさら目的とか意義が重要視されるのかもしれない。

 

 

昨日書いたことと今日書いたことを踏まえて、あなたのためだからとか、

自分の価値観を他人に押し付けることほど迷惑なものはないのかも。

それは世代関係なく、お互いにね。それが優しさだったとしても。

押し付けではなく、私はこういう価値観であなたはこういう価値観なのね。

って寄り添ってくれる方が相手も寄り添いやすいし。

 

溝を埋めるための解決策は意外とシンプルなものなのかもしれない。

 

あと、飲みに行けばどうにかなる...はず。

酒って、人を繋いでくれるいいやつよ(ただし飲みすぎ注意)。

受け入れるってどういうことだろう①

ブログを始めようと思った経緯をどこまで話そうか、そしていつまでに書こうか。

おそらく、経緯なんて途中で話すのやめると思う。

とりあえず、前とこんな感じで思考や考えが変わったよってことを。

(レイアウト設定めんどくさくて結局手をつけずww)

 

 

人って、気になるところ気にならないところとかってそれぞれ違うと思う。

みんな違うのに「なんでそれ気にならないの?」って言われたことありませんか?

気にならないんだからしょうがないじゃん。

些細なことがきっかけで喧嘩が始まったり(笑)

 

あいつ、こういうところあるからこうしてやろうって、お互いにできたらいいよね。

そして、甘えるのではなく、感謝を忘れず。

あ~。これが全人類のスタンダードなら幸せ

 

12年前の自分はそれができなかった。

たぶんいっぱいいっぱいで、できなかったんだろうね(笑)

 

 

最近考えるのは、よくニュースの話題にも出てくる仕事における世代間の溝。

例えば、やることに意味を求める若者。

「背中を見て覚えろ」とか「下積みマスト(年功序列ともいうのかな?)」

の社会で頑張ってきたアラフォー世代。

とりあえず、今日は上の世代の方のことを書きますか。

 

24歳のペーペーが何言ってるんだっていうのを大前提になんだけど、

最近の自分は、両方の気持ちに共感できる。

もちろん100%ではないけど、なんとなくで共感する。

年上の人も同年代も、どっちも好きだから。

 

 

自分も上の世代の人にイラっとする時もあるけど、冷静に考えれば、

今の日本を作り上げてくれたのって上の世代の大人達であって...。

本当にありがとうございます。

 

自分はよく一人飲みとかする人で、

たまに絡まれたり絡んだりして初対面の上の世代の人と飲む。

朝まで飲み明かしたり、自分と同年代の息子・娘がいる家に初対面なのに泊まったり。

そういう飲みの席でいろんな方に話を聞いてると、

手取り足とり1から10まで教えてもらうことはあまりなかったらしい。

「背中を見て覚えろ」とか「何してほしいか先読みして行動しろ」とか。

全部がそうであったとは思ってないけど。

これ、飲みで聞いた話ね。

 

それは今と違って終身雇用の時代で、年功序列の縦社会があったからなのかも。

今の若者達と同じように、理解できないこともあったはず。

でも耐えるしかなかった。

それが結果的に仕事における体力などのベースになったのかなって話してくれた。

スパルタと捉えるべきか、なんとなくで仕事できても1から10まで

自分が理解できてないから部下に全部教えなかったからなのか、

そこはなんとも言えないけどねとも語ってくれた。

 

 

昔の自分を思い返したら、

こうして欲しかったっていうのが上の世代の方にもあるのだと思う。

でも自分がスパルタ的なやり方で教わってきたから、そういうやり方しかできない。

もしくは、教えてやろうと思っても、自分の仕事がある中で

部下に教える余裕が実はなくて、でも聞いてくる部下がいて、

それに対して苛立って怒っちゃうのかもしれない。

「全部聞いてくるんじゃないよ」って。

それか若者の聞き方が悪いのか。どっちかなのかな?

 

 

世代が違うから真相はわからないけど、ただ一緒に飲んでて思うのは、

どんな人もみんな面白い人ばかりだよ。

泥酔して道端で寝ちゃう人もいたり、

お酒で豹変しちゃう人もいるけど、なんかしらいいところがある。

説教くさい言い方しちゃう人もいるけど、なんだかんだ優しい人なの。

だって、最後は笑ってバイバイできるもん。

 

だから、意見が合わないとかで嫌いにならないで。

次回は、若者の立場からで。