こいつの興味分野は今どこへ…

ようやくここから自分の書きたいことを

書き始められる気がする。

イベントとか食とか地方創生とか

その類の仕事をしてきた私。

 

興味がなくなったわけではないんだけど、

そっちの分野よりやりたい

ってものが別にできている。

今やってる仕事は仕事でやりつつの

個人的にやっていきたいことの1つ。

なんだかんだ言っても、やっぱり地方は

自分にとって安らぐ場所であり、

これまで関わってきた好きな人達がいる場所。

それに可能性に溢れている場所だと思うから

何かしらで絡められたらやりたい。

 

これまで振り返ったときに、

価値観を押し付けてしまうようなこととか

してなかったかな?とか

いろいろ考えてしまった。

だって地方がいいとか都会がいいとか、

価値観みんな違うじゃん。

 

こんな話してると色々語弊が

出てきそうだから、

大前提として本当にどうでもよくなったり、

興味がなくなったわけでは

ないことだけ言っておく。

あくまで、個人視点での話で、

仕事とは関係のないこと。

 

 

今の私は、マスメディアが

あまり大きく取り上げない、

性や人類の問題、

環境・社会問題とかに興味が強い。

問題系だけでなく、

いろんな人の世界観についても興味が強い。

僕はただ受け入れたいんだ。

 

最近、それらについて発信する

メディアも出てきたが

「興味がある」で終わりじゃなくて、

クリエイターの力を借りて、

作品として作り上げてみたい。

一人で全部できるようになれれば

強いのかもしれないけど、

まだそこまでは無理だからね。

 

 

何を考えているかというと、

生きることは「選択」の繰り返しであって、

誰かの選択はの「選択」は

必ず他者や地球に影響を与える。

人間が増えれば、自然が減って、

人間が減れば自然が増えるように、

人間の行動による経済活動は少なからず、

自然資源を削る。

 

 

物事を大きく捉えれば、

例としてこんなことが挙げられる。

身近なことで考えれば、

偏見や社会的風潮で本当はこうしたい

という選択ができない人が

出てきてしまってること。

 

 

やりたきゃ勝手にやればいいじゃん。

そういう考えもあるだろう。

でも世の中にはいろんな人がいて、

周りにどういう影響を与えるか

何も考えずに行動できる人。

他人ばかり気にして、

自分の中のやりたいを抑え込んでしまう人。

楽観的に考えれる人、

悲観的に考えてしまう人。

 

国を超えればもっといろんな人がいるわけで、

固定概念を外し、いろんな価値観を

受け入れられる余裕がある人が

増えていかなきゃいけないのかな

って思ってる。

 

いろんな思想や世界観などを

否定も肯定もしない。

僕はただ受け入れたい。一人の人間として。

一度受け入れて、

受け止めきれないなら吐き出すし。

 

 

本当は選択肢は無限にあるのに、

情報過多で本質は何なのかなど

わからなくなりやすい。

それに加えて、社会的風潮や

固定概念などがあると、

もっと自由に選択できなくなるって考えてる。

 

 

これらは、多様性って言葉で

まとめられるのかもしれない。

でも多様性でひとくくりにされるのも

違う気がしてる。

 

最近、言葉のメリットデメリットに

ついても考える。

当てはめられる言葉があることで、

モヤモヤが解消されたりして

いい方向にも行くし、裏では言葉が

あることで悪い方向にも転んだりする。

ケースバイケースだが、言葉って

諸刃の剣みたいなもの

なのかなとも考える自分もいる。

 

 

色々書いたが自分は

平和主義者でも何でもない。

どっちかというと弱肉強食の世界を肯定する派。だって現実そうじゃん。

それに人間のダークな部分が大好き。

好きというのも、自分にはない世界観・価値観だから。

それにダークな部分なしに純白な人生歩んできた人って

どれくらいいるのかなって思っちゃう。

みんな言わないだけで、何かしらを必ず持ってるって思ってる。

 

ちょっと話がそれるけど、極端な話、生きたきゃ勝手に生きればいいし、

死にたければ迷惑がかからない範囲で勝手に死ねばいいと思う。

(言葉悪くてごめん)

 

でも、誰にも助けを求められず、声をあげても誰にも見てもらえず、命を絶つ人。

まったく関係ない他人の命に手をかけてしまう人。

そういう人達がいるという事実から目を背けるのが、個人的に嫌いなだけ。

 

気にかけたくなくても気になっちゃうのよ。

自分が気になっちゃうのも、そういう人達がいるのも全て現実で真実だから。

 

全部に寄り添えるなら、個人的に寄り添いたい気持ちはある。

でも、自分の生活もあるなかでそれは限界がある。

それに全部寄り添うとしたら、時間が足りないし、何かが中途半端になる。

中途半端になるくらいなら、近寄らない方がいい。

中途半端ほど、迷惑なものはない。

遊びならいいけど、真面目にやってる人もいるのは事実だから。

救うことはできなくても寄りそうとか近くにいることくらいは1人の人間としてできるはずって思ってる。

見過ごすのが個人的にモヤモヤするだけ

 

 

 

自分は何か結果を出した人間か?

何も結果を出してない。だから、発言してもただの戯言で終わる。

言葉もただのチリとなって消える。

大きくは変えることはできない。

それは大前提としてあっても

自分の周りから何かを訴えかけることはできるはず。

 

 

自分が伝えたいことをいろんな人に協力してもらいながら、

作品というもので訴えていきたい。

それは写真なのか動画なのか、文字なのか、はたまたそれ以外の何かなのか。

それは今、模索中。

 

とりあえず、ビジュアルにストーリーを混ぜ込むっていうことでやろうとしてる。

若手のクリエイターの力を借りて。

作るとしても、直接的な表現から、

ユーモアを混ぜ込んだものまでいろんなものに挑戦したい。

そして、いろんな人の世界観を具現化したい。

 

発信力もない。何か作ったりしたとしても

最初は理想のクオリティまではいかないだろう。

でもやりたい。自分で決めたから。自分で決めたからにはやれるところまでやりたい。

 

これらを仕事をする傍ら、やっていこうと思う。

何かで協力してもいいよという方がいたら、喜びます。連絡ください。

(モデル、カメラ、デザイン、場所提供、一緒になんかやろとかの提案などなど。)

 

今、自分の中の軸みたいなものとして、

・自分らしさとは

・ポジティブをネガティブに。ネガティブをポジティブに。

です。

 

 

こんな感じで、こいつは今生きてます。

善悪の境界線って何だろうね。てか誰がそんなこと決めたの。

世の中ってめんどくさいね。でもめんどくさいから面白いんだけどね。

はい、終わり。